司法における闘いを通じて脱原発を実現する

2021年9月23日

 福島第一原子力発電所の事故以来、この10年余の間に、原子力発電所周辺の住民から多くの裁判が起こされてきた。ここでは、私が自ら担当する事件だけでなく全国の原発賠償に取り組む弁護士たちの仕事もまとめて、福島原発の所有者である東京電力と日本政府に対して提起された、事故の責任を明らかにするための訴訟手続きのうち、最も重要な訴訟の概要を紹介する。
 また、3.11前から原発差し止めのための訴訟が多数提起されてきたが、3.11後、東通原発を除くすべての稼働中の原子炉について、原子力事業者による再稼働の試みに対して、住民による一連の訴訟が起こされてきた。原告側が敗訴したものもあれば、成功したものもある。これらの訴訟はすべて私が河合弘之弁護士とともに共同代表を務める脱原発弁護団全国連絡会に結集する仲間たちが弁護を担当している。
 これらの2つの類型の裁判は、日本の原子力分野における今後の司法判断に大きな影響を与え続けていくであろう。

2 歴史的な伊方事件最高裁判決

 日本初の原発訴訟となった伊方原発訴訟では、元原子力委員会の安全専門審査会委員長の内田秀雄氏が「原子力発電所の安全性に関するラスムッセン報告書」を引用して「原子力発電所の安全性は絶対的に保証されている」と証言した。 原告適格や基本設計論、国の専門裁量論等の理屈は、訴訟における旗色が悪くなってから、後付けで考案されたものだということを忘れてはならない。
 伊方訴訟についての原告側の請求は1992年に最高裁で棄却された。 この判決は、行政訴訟で判断すべき事項を、基本設計に限定し、政府の判断に大きな裁量権を与えたことから、原子力安全についての司法判断に大きなバイアスを与えた。

3 判決は、政府による広い専門的裁量を認めたが、原発に高い安全性を求めた

この判決には、以下のような重要な内容が含まれていた。
– 原子力発電所は重大な災害を引き起こす可能性があること。
– 政府の原発審査は、いかなる状況下でもそのような災害を発生させないためのものであること。
– 司法は、原発の安全性について許可の取得時の古い知識ではなく、現在の科学的知識に基づいて判断すべきである。
– 安全性の立証責任は、原告ではなく政府にあること。

4 国からの立証は熱心になされているか

 このように、伊方判決は行政訴訟における立証責任を国に転嫁しているのだが、国からの証拠の提出の状況はどうだろうか。お世辞にも、国は安全性の立証を尽くしているとは言えない。
 福島原発そのものの事故原因に関わる訴訟すなわち、東電の刑事裁判と株主代表訴訟に関しては、裁判所が頑張って証拠を明らかにしたというよりは、検察審査会の議決によって刑事裁判が開かれ、刑事裁判で指定代理人によって検察捜査によって集められたたくさんの証拠が裁判所に出された。私はその刑事裁判で被害者代理人だったからその証拠をただちに見ることができた。そして、実際には刑事裁判の証拠を民事裁判に使うためには、民事の裁判所自身が刑事裁判所に文書送付嘱託をし、民事裁判所に送られたものを記録謄写し、それがさまざまな損害賠償訴訟にも提出された。生業訴訟の仙台高裁判決と千葉の損害賠償裁判の東京高裁判決では刑事裁判の証拠がずいぶん引用されている。東電内部で2008年2月に津波対策を一旦やることを決めておきながら、それを覆した実態が明らかになったことが決定的に重要であった。
 差止め訴訟については、もちろん規制委員会自身の証拠の公開がすすんでいることは事実である。規制委員会に提出されたものはただちにPDFでみることができるし、委員会もウェブ中継されている。だからある意味、膨大な資料があるのだが、公開されない事業者と規制委員会との会合がもたれ、その場で重要な話し合いがされていたことが明らかになっている。また、今年の3月18日、差止めの判決が出た東海第二原発訴訟は、避難計画の問題で原告側を勝訴させたが、我々は地震の問題も重視していた。我々は、実際に東日本大震災が起きた時の東海第二原発の地震波の観測記録の提出を求めた。東海第二原発近くの公共機関が設けて設置していた地震計の地震波は誰でもが見られるのだが、原発敷地内の地震のデータというのは最後まで出てこなかった。裁判所は被告側に対してずいぶん「出しなさい」と促した。
 このように一見情報はたくさん出てきているように見えるが、決定的に重要な情報については出されていないといえる。
 もう一つ、地震動について原告が勝訴した大阪地裁の大飯原発設置変更許可取消判決(2020年12月4日)の内容については後述するが、これも裁判所が、みずから国が決めた基準に従って、計算式のばらつきを考慮したうえで計算してその計算結果を提出しなさいと国に対して命じた。国は裁判所の要求を拒否した。情報を出さない、できることをやらないことに対する裁判所の苛立ち・怒りがあったから、裁判所は原告を勝たせたのではないかと我々は思っている。
東海第二原発の裁判では、地震については資料が出てこないために確実な立証ができなかったけれども、判決の端々(はしばし)を読むと、原発というのはちょっとした故障があって、それらがすべて管理できないと、大事故につながり得るというようなことが認定されている。だから原発には非常に高いレベルでの安全性が必要であり、したがって避難が必要になるような大事故が起きる可能性も否定はできないという理屈になっている。
 福島原発事故が現実に起きているわけで、東海第二の場合は、まわりが人口の密集地なので避難はほぼ不可能だ、多くの自治体も避難計画を立てることを放棄している、そこは非常にわかりやすい論点で、誰も争いのないところで、原告を勝たせてくれたといえる。
 まとめて言うと、昨年から今年、原告住民側を勝たせてくれた2つの事例は、いずれも国や電力会社の情報の出し方に問題があったケースだと言えるのではないか。
 なお、立証責任については、原発については、最高裁の伊方判決で行政訴訟では国が負うとなっているが、今年の3月18日の広島高裁の決定は、ひどい内容で、科学の不確定性が存在する場合に裁判所が専門性を欠くことなどを理由に、人格権侵害の具体的危険性を証明する責任を住民側に負わせてしまったのである。この判決は伊方判決の基準すら変えて、原子力産業に奉仕してしまっている。これが現時点でもっとも反動的な判決である。

5 福島原発事故に関する東京電力と国の責任についての司法判断

 2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震が発生し、福島第一原子力発電所の全電源喪失、非常用ディーゼル電源システムの水没、1~3号機の一連のメルトダウンが発生した(東日本大震災。以下、3.11)。
 2002年7月、政府機関である地震調査研究推進本部は、日本各地の地震発生を予測した「長期評価」の検討の過程で、第一線の地震・津波学者のコンセンサスとして、福島第一原子力発電所の沖合を含む東北地方から房総沖にかけての日本海溝沿いで、過去400年間にマグニチュード8を超える大規模な津波地震が3回発生しており、今後も発生する可能性があると認めた。
 2004年12月、スマトラ島沖地震による大津波がインド南部のカルパカムにある原子力発電所を襲った。これを受けて、原子力安全・保安院は2006年、電気事業者に厳しい津波対策を求めた。 しかし、東京電力は追加の津波対策を取らなかった。
 2008年2月、東京電力のトップと中堅幹部らが集まる会議(「御前会議」とよばれていた)で、当時原子力設備管理部副本部長だった山下氏が、前述の長期評価に基づく対策案を提案し、社長以下の取締役が承認した。
 2008年3月、長期評価に基づくシミュレーションの結果、津波の高さは設計基準である海抜5.7mの約3倍となる15.7mに達する可能性があることが判明した。
この結果は、同年6月に東京電力の土木研究グループから武藤副社長(当時)に報告され、副社長からは、津波の遡上高さを非常用海水ポンプが設置されている4m地盤(O.P.(Onahama Peil)から4mの高さ)まで下げる方法や、沖合防波堤設置の許可を得るなどの設備対策を検討するよう指示された。 しかし、2009年7月、武藤副社長は土木学会に検討を委ね、検討が続く期間は津波対策を延期することを指示した。電力会社とつながりのある学識経験者で構成され、電力業界から資金提供を受けている土木学会に設計基準津波の再検討を依頼した(土木学会は2010年末には推本の見解を基本的に是認し、ただ福島沖で発生する地震の規模をわずかに小さくするという意見をまとめた。このような見解に基づいて計算しても、津波高さは13.7メートルに低減されたにとどまった)。
 東京電力の幹部は、このシミュレーション結果をすぐに政府や福島県に提出するのではなく、保安院から強く求められ、事故のわずか4日前の2011年3月7日に政府に報告した。
 福島原発事故の第一の責任は、政府の津波予測(長期評価)に対応した津波対策を講じなかった東京電力にあり、第二の責任は、政府が独自の地震・津波評価に基づく津波対策の実施を東京電力に求めなかったことにある。
 事故についての東電の責任は無過失責任であり、すべての訴訟で認められているが、国の責任の有無についての司法判断は分かれており、2020年9月30日の仙台高裁判決と2021年2月19日の東京高裁判決(千葉事件)は国の責任を認めているが、2021年2月18日の別の東京高裁判決(前橋事件)は国の責任を否定している。これら3つの事件はすべて最高裁に上告されており、最高裁の判決が間もなく出される見通しとなっている。これらの判決は決定的に重要なものとなるだろう。

6 東京電力幹部の刑事事件

 東京電力の事故当時の3人の役員(勝俣被告人、武黒被告人、武藤被告人)に対する業務上過失致死傷事件は、双葉病院から避難の過程で亡くなられた方や負傷した東電職員らについて、会社役員の刑事責任を問う裁判である。この裁判は検察官が不起訴とした事件について、検察審査会が3分の2の多数で、2回の議決を経て強制起訴をし、検察官役は弁護士会が推薦した弁護士5名が担当している。東京地裁(永渕健一裁判長)は2019年9月19日、被告人全員に無罪判決を言い渡した。 判決では、原子力発電所の安全審査基準は、絶対的な安全性の確保を前提としたものではないとした。また、長期評価に異論を唱える学者がいたことを強調し、長期評価に基づく対策(判決は停止以外の対策については判断していない)を講じる義務は幹部にはないと結論づけた。
 この判決は、政府の国家賠償責任を認めた前述の2つの高裁判決などとは真っ向から対立するものである。この判決は、重大な災害を未然に防ぐために原子力発電所について万一の事故も防止しなければならないという高いレベルの安全性を確保しなければならないとした伊方事件の最高裁判決を事実上否定したものと評価することができる。
 無罪判決が下されたものの、刑事裁判で明らかになった事実や証拠は、前述したように、国の責任を認めた「生業」「千葉」の民事訴訟において、高裁が原告に有利な判決を下す根拠となった。

7 東京電力幹部の会社法上の民事責任訴訟

 東京電力の株主約50人が、福島第一原発の事故による損害22兆円について、元役員5人の会社に対する善管注意義務に反するとして東電に賠償するよう請求している。この裁判は東京電力役員の会社に対する民事賠償責任を明らかにするために進められている。
 東京電力株主代表訴訟は、2021年2月から集中的な証人尋問が始まっている。推本の長期評価の分科会の委員でもある濱田信生元気象庁火山・地震部部長は、長期評価には高い信頼性が認められることを明確に証言した。
 一方、政府系研究機関で津波堆積物の研究をしながら、NISAの安全審査委員を務めていた岡村行信氏は、津波堆積物の調査を継続したいと言う東電の担当者に対して次のように述べたと証言した。
 「調査を続けても、貞観津波の規模は決して小さくならない。これ以上調査を続けても意味がない。今すぐにでも対策工事を始めるべきだ」
 この2つの重要な証言は、東京電力の責任を強く示唆するものである。
さらに、東芝の元原子力発電所の技術者である渡辺敦雄氏と後藤政志氏は、津波の浸水を防ぐための防水工事や防潮堤の設置は技術的に容易であり、そのような対策は事故の時点までに実施可能であったと証言している。
この事件では現在、東京電力の元幹部5人のうち4人の尋問が7月20日までに終了している。
 東京地方裁判所は、2021年10月に裁判官が福島第一原子力発電所の敷地を視察することを決定している。東京電力によると、裁判官が福島第一原子力発電所の敷地を訪れるのは初めてのことである。
 裁判官は、「事故の責任を判断するために、原発の所在地を直接見たい」と述べた。裁判官は、原発事故の賠償をめぐる民事裁判で何度も周辺地域を視察しているが、福島第一原発の現場そのものを視察したことはない。東電の元役員3人が強制起訴された刑事事件の初公判では、検察官役の指定弁護士が裁判所に現場の視察を強く要請したが、裁判官はこれを拒否した。この点の是非も刑事裁判の控訴審の重要な争点となっている。

第2部 再稼働を阻む住民訴訟の勝訴

1 福井県の原発をめぐる判断

 3.11以降、原子力発電所の安全性に疑問を持った市民が、日本国内のほぼすべての原子力発電所に対して、民事訴訟、仮処分、行政訴訟などを行い、原子炉の運転の差し止めを求めた。
 2021年4月現在、原告の主張を認めて原発の運転を停止した判決・決定は8件ある。
 その最初のものは、2014年5月21日、福井地方裁判所(樋口英明裁判長)による大飯原子力発電所の運転差止判決である。
 この判決は、規制委員会が基準適合性を判断する前に判決されており、以下の原則に基づいている。
– 人間の生命という基本的な人格権は最高の価値があること。
– 原子力発電所の運転は、経済活動の自由に属するものであり、経済的権利は、生命・健康に対する権利に従属するものであり、中核的人格権よりも低い地位を与えられるべきである。
– 基準地震動を超える地震が過去5回発生しているという事実は、基準地震動の決定方法が間違っていることを明確に示しており、原子力発電所の設計基準地震動が過去5回も超えていると判断されたこと自体が、原子力発電所の安全性が確保されていないことを示している。
 この判決は、福島原発事故の重大性を司法が認めた画期的なものと評価できる。2015年4月14日、樋口裁判長は、高浜3号機と4号機の運転を禁止する仮処分命令を出し、実際に運転していた原子炉の運転を停止させた。この判決は、原子力発電所の設計基準地震動を地震の平均的な概念に基づいて設定することに合理性を見出すことが困難であり、設計基準地震動が実績だけでなく理論的にも信頼できないことが明らかになったことを批判したものである。
 その後、地震動の想定や避難計画の不備を理由に、2016年3月9日、大津地裁(山本善彦裁判長)は高浜原発の運転差し止めの仮処分命令を出し、6月17日に、これに対する関電の異議を退けた。

2 川内原発をめぐる火山論争

(a)鹿児島地裁決定

 川内原子力発電所は、鹿児島県の西部に位置し、姶良カルデラ・桜島など多くの火山に近い場所にある。2015年4月22日、鹿児島地方裁判所(前田郁勝裁判長)は、川内原子力発電所の1号機および2号機の運転差し止めを求める住民の申し立てを却下した。 決定では、火砕流噴火(岩石の噴出を伴う噴火)はかなり前から予測可能であり、破局的な噴火活動の可能性が十分に小さくないと考える火山学者が一定数存在することは認めるものの、火山学界の多数を占めるものではなく、結果的にその可能性は十分に小さいと判断された。

(b)福岡高等裁判所宮崎支部の決定について

 2016年4月6日、福岡高等裁判所宮崎支部(西川知一郎裁判長)は、川内原子力発電所の再稼働を認め、住民側の即時抗告の申立てを棄却した。 しかし、この決定では、火山に関する住民の事実上の主張の多くが認められた。重要なことは、噴火の時期や規模がかなり前から正確に予測できることを前提とした火山ガイドの内容が不合理であると判断したことである。
 また、過去の最大規模の噴火で火砕流が原子力発電所の敷地に到達するなど、設計で対処することができない火山現象を起こすと考えられる火山がある場合、政府は原則として敷地を不適格とすべきであると判断した。
 また、決定では、5つのカルデラ火山の噴火可能性は十分に小さいとする九州電力の評価も不合理であるとした。
 しかし、裁判所は、火山噴火のリスクを判断するには、日本社会がどの程度リスクを受け入れているかという社会通念に基づいて判断するしかないと判断した。そして、裁判所は、そのような社会通念に基づいて、原告がそのような災害の発生の可能性を証明しない限り、極めて深刻ではあるが歴史上経験したことのない自然災害のリスクを無視し、容認することが社会通念であるとして、住民の申立てを棄却したのである。

3 伊方原発と阿蘇山噴火をめぐる論争

(a)4つの地方裁判所に提出された仮処分の内容

 2016年8月、四国にある伊方原子力発電所が再稼働した。これを受けて、2016年3月に広島地方裁判所、2016年5月に松山地方裁判所、2016年6月に大分地方裁判所、2017年3月に山口地方裁判所岩国支部に、次々と仮処分事件が申請された。
 これらの裁判では、中央構造線の断層としての位置、原発からの距離、活動性、断層の角度などが争点となったほか、阿蘇山の噴火が伊方原発に与える影響の可能性についても争われた。

(b)広島高裁が「不適地」と判断

 2017年12月13日、広島高等裁判所(野々上友之裁判長)は、広島地方裁判所の決定に対する即時抗告を認め、2018年9月30日までの期間限定で、伊方原子力発電所3号機の運転を差し止める仮処分を決定した。 高裁が原子力発電所の運転差し止めを認めたのは、3.11以降では初めてのことであった。
 決定は、原子力規制委員会が作成した「火山ガイド」の評価手順に従い、伊方原発から130km離れた阿蘇カルデラの火山活動が原子炉運転期間中に発生する可能性が十分に小さいとは判断できず、その規模も推定できないとした。決定では、噴火の規模が推定できないことから、約9万年前の阿蘇4噴火(火山噴火指数VEI7)の規模を想定することとした。阿蘇4噴火の火砕流が伊方原発に到達した可能性は十分に小さいとは評価できないため、原発の立地には適していないと判断した。
 決定の火山に関する部分は、多くの火山専門家の意見が引用されており、日本火山学会などの専門家による原告住民に対する強力なバックアップが判決に大きな影響を与えた。
 前述の社会的受容理論について、決定は、以下の点を考慮しても、破局的噴火のリスクを無視することが社会的に許容されると考えられることを認めなかった。
・火山噴火指数がVEI7以上の破局的噴火の発生頻度は、日本の全火山を考えると約1万年に1度と言われていること、
・阿蘇山の破局的噴火は、福島第一原子力発電所事故の被害をはるかに超える国家存亡の危機をもたらすこと、発生頻度が著しく低い自然災害は、火山ガイドを除いて政府による規制の対象とされていないこと、
・政府は火山活動の監視以外の対策を規定しておらず、これに対する国民の大きな懸念や疑問はないこと。
 しかし、このような事実から破局噴火のリスクを無視することは、自然災害に関する社会通念に基づいて限定的に解釈することで判断基準の枠組みを変更したものであり、原子炉等規制法や新規制基準の趣旨に反していると考えられるとして、社会的受容理論を否定し、伊方原発は立地不適と判断した。
 その後、2018年9月25日、同じ広島高裁の別の裁判官が、破局的な火山噴火を無視することが社会通念上妥当であるとして、この仮処分命令に対する異議申し立てを認め、差し止め命令を取り消した。

(c)広島高裁は、地震対策や火山灰対策が不十分であることを理由に、改めて仮処分を認めた。

 2020年1月17日、広島高等裁判所は、山口地方裁判所岩国支部の決定に対する即時抗告に対する決定で、地震対策と火山灰対策の不備を指摘し、伊方原発の運転差し止めを認めた。 この判決は、原子力発電所に求められる安全性のレベルについて、以下の点を認めた重要な判断である。
– 福島原発事故のような過酷な事故を絶対に起こしてはならないという意味で、高い安全性が求められる。
– 原子力発電所に具体的な危険があるかどうかを判断する際には、この原則やその精神を解釈して適用する必要があることは否定できない。
– ある問題について専門家の間で見解が対立している場合、裁判所は、保守的でない設定の見解が支配的または優勢な見解であるからといって、それを安易に採用してはならない。ある問題について専門家の間で意見が対立している場合、保守的ではない設定の見解を、それが支配的または優勢な見解であるという理由だけで簡単に受け入れるべきではない。
-新規制基準には、「震源が敷地に極めて近い」、すなわち、表層地盤の震源域から敷地までの距離が2km以内の場合について特別の規定を設けられている。 ところが、四国電力は、四国電力の実施した海上音波探査によれば、佐田岬半島北岸部活断層は存在しないとし、「震源が敷地に極めて近い」場合の評価をしていないが、規制委員会も、これを是認した。これに対して、決定は、佐田岬半島沿岸について、「現在までのところ 探査がなされていないために活断層と認定されていない。今後の詳細な調査が求められる。」という中央構造線断層帯長期評価(第二版)の記載等に基づき、上記四国電力及び規制委員会の判断には、その過程に過誤ないし欠落があったと判示した。
-また、判決は破局噴火についての原告側の主張は認めなかったが、影響評価における噴火規模の想定が過小であることからそれを基にした四国電力の申請と規制委員会の判断は不合理であるとした。
-この広島高裁の決定は、常識的でバランスのとれた司法判断といえるだろう。

(d)異議審で覆された広島高裁決定

 しかし、2021年3月18日、広島高裁(横溝邦彦裁判長)は、前述の広島高裁即時抗告審決定を覆した。
この決定は、科学の不確定性が存在する場合に裁判所が専門性を欠くことなどを理由に、人格権侵害の具体的危険性を証明する責任を住民側に負わせたものである。この判決は、冒頭に述べた1992年の伊方判決で定められた規範さえも覆そうとしたものである。

4 火山と原発をめぐる論争と「社会通念論」

 ここで、裁判所が科学的証拠についてどのように評価しているのか、裁判所が「社会通念」についてどのように判断しているのかについてまとめて論じておく。
 「社会通念」論は、いま原発訴訟について著しく悪用されている。一番ひどいのは、火山に関する安全性論争である。日本では歴史時代になってから、破局噴火(一万年に一度程度起きる火山爆発)を経験していない、このことを根拠にして、宮崎支部は破局噴火による火山災害が起きることは「社会通念上考慮する必要がない」と判断したのである。愛媛県の伊方原発の敷地には、阿蘇山が阿蘇4噴火(約9万年前の噴火)という破局噴火(この規模の噴火は日本国内では約1万年に一度くらい起きている。)を起こした時には火砕流が到達している。広島高裁では後に述べるように、伊方原発の立地が不適であるということで住民側が勝訴したことがある。ところが、それを考慮する必要がないという論理として「社会通念」が使われた。
 この「社会通念」論は福岡高裁宮崎支部の決定で初めて出てきたものであるが、裁判所が「社会通念」を持ちだしたら、次は規制委員会の規制基準にまで「社会通念」が取り入れられた。これは本当におかしなことである。
 原発については地震に関しては、12万年前以降に活動したことのある活断層を全部考慮することになっている。IAEA(国際原子力機関)の基準では、少なくとも何百万年前からの火山活動を考慮しろとなっている。しかし日本に関しては数万年以内に活動した火山も無視されるという本当に恐ろしいこととなっている。そして裁判所の持ち出した「社会通念」に、規制委員会も悪乗りして基準まで作り変え、これを考慮しないことを正当化するということが起こっているのである。
 少なくとも日本では、1万年に一度くらいで破局地震(VEI 7)が起き、千年に一度くらいは巨大地震(VEI6)が起きることは、まぎれもない科学的事実なのである。ところが、たまたま日本の歴史が始まってから巨大噴火が起きていない、一番最近に起きた破局噴火は約7千年前の鬼海カルデラ噴火である。この噴火によって南九州の縄文文明は絶滅した。それからは、破局噴火も巨大噴火も起きていない。裁判所は、このような破局噴火は無視するといっているが、規制委員会は数千年に一度の巨大噴火も無視すると言い出した。私たちに言わせれば、東日本太平洋沖地震が発生した今、これと連動して日本国内のどこかで、巨大噴火・破局噴火がいつ起きてもおかしくない状況になっているように思われる。それこそが、正しい科学的知識にもとづく「社会通念」なのだと考える。
 また、このような裁判所と規制委員会の主張に対して私たちは、日本にかぎって議論することは全然意味がないと考える。破局噴火は19世紀にインドネシアのタンボラ山の噴火(1815年)が起きている。フィリピンのピナツボ火山ではVEI6レベルの噴火が1991年に起きている。日本で起きている火山活動は世界の火山活動の約7%と言われている。破局噴火も巨大噴火も全然珍しい現象ではない。それこそ間もなく朝鮮の白頭山が爆発するのではないかということで映画までが作られ、上映されている。まもなく巨大地震が起きてもおかしくないということは火山学者ならみんな考えている。それが現代社会で起きたらどんなことになるのか、それを考え、想定して対策を考えるのが正しい社会通念だと思う。このように、確立している国際基準を無視して、「社会通念」を悪用し、原発の安全性にとって考慮しなければいけない事象を切り捨てているのが現状であり、これでは次の過酷事故は防ぐことができない。

5  大阪地裁が大飯原子力発電所の許可を取り消す判決を下す

 2020年12月4日、大阪地裁(森鍵一裁判長)は、大飯原発3・4号機の設置変更許可を取り消す判決を下した。 行政訴訟で住民の主張が認められたのは、3.11以降では初めてのことである。
 この訴訟では、原発を襲う可能性のある地震動の大きさが最大の争点となった。判決の枠組みとしては、1992年の伊方原発事件最高裁判決の枠組みを踏襲し、規制基準に不合理な点がないか、規制委員会の調査・審議・判断の過程で看過できない誤りや不作為がないかを司法の立場で検討した。
 原告側の最大の争点は、原子力発電所の設計基準の地震動が過小評価されていたことだった。地震動は、震源地での破壊の特性、地震波の伝播の特性、地震波がある地点付近の地盤構造にどのように影響されるかの特性によって決まる。原告側は、多くの原子力発電所で使われている、断層の面積から地震の大きさを導き出す経験式「入倉・三宅式」について、データの多くが海外のものであり、過小評価につながると批判した。この点については、裁判所も一定の理解を示した。原告は、同じような経験式である「武村式」が採用されるべきであると主張した。この点について裁判所は、「武村式を用いることには一定の合理性を認める余地がある」と理解を示したが、最終的には原告の主張を退けた。
 3.11以前から、設計基準地震動の算出基準では、設計基準地震動を算出する過程で、震源断層の長さや深さ、断層の傾斜角などのパラメータの不確かさを必要に応じて複合的に考慮することが求められていた。しかし、福島原発事故後に原子力規制委員会が策定した「地震動検討ガイド」では、3.11以降、経験式が与える地震の大きさは平均値であり、経験式のばらつきを考慮しなければならないとの規定が追加された。 裁判所はこれに留意した。
 2020年1月30日、大阪地裁は、設計基準地震動を算出する際には、少なくとも標準偏差を用いてこのばらつきを考慮すべきであると判断した。これに対し、被告である国は、計算が適切に行われなかったことを正当化するために、パラメータ設定の不確実性がすでに考慮されているのであれば、経験式のばらつきを考慮する必要はないと主張した。大阪地裁は、こうした政府の姿勢を厳しく批判した。
 福島原発事故から10年が経過し、その後の原発再稼働をめぐる訴訟では、予測される地震や火山活動に対して原発の安全性が確保できるかどうかが重要な争点となっている。
 この大阪地裁判決を書いた森鍵判事は、かつて最高裁事務総局に勤務していたエリート判事である。主流派の裁判官の中から原発推進への疑問が出てきたことは注目に値する。

6 水戸地裁は避難計画の不備を理由に東海第二の再稼働を認めず

 2021年3月18日、水戸地方裁判所(前田英子裁判長)は、東海第二原子力発電所の運転を差し止める判決を下した。
 東海第二は、3.11の影響を直接受けた原子力発電所の一つで、43年前に運転を開始した老朽化した原子炉である。周辺自治体の多くは、安全性への疑問や避難計画の策定の難しさなどを理由に、再稼働に反対の意向を示している。
裁判所は、原子力発電所の安全性を判断する枠組みとして、深層防護の第1レベルから第5レベルのいずれかに欠落や不備があれば、具体的な危険性があると判断した。
 裁判所によれば、深層防護の第1層から第4層については重大な欠陥は認められなかったが、避難計画を含む第5層の防護については、原子力災害時の優先地域であるPAZおよびUPZには94万人の住民がいるにもかかわらず、実行可能な避難計画とそれを実行するための体制が整っているとは到底言えず、この地域に住む原告らは人格権侵害の具体的な危険にさらされていると判断した。
 判決文をよく読むと、このような人口密集地に原発用地を承認することに懸念があることがわかる。判決は、地震や火山に関する原告の主張を退けたものの、判決文には「看過できない過誤とは言えないが…」といった表現が使われており、過酷な事故が絶対に起こらないという保証はないという見解が事実上示されており、原子力の安全性に疑問を呈していると評価できる。したがって、今回の東海第二原発の運転停止決定は、最悪の事態を想定して「有効な避難計画がない」という理由でなされたと評価することができる。
 この判決は、原子力発電所の安全性を確保することは困難であり、事故が発生すれば甚大な被害をもたらすことを明確に認識している。本判決は、深層防護の第1段階から第4段階までの致命的な欠陥を特定できないからといって、薄っぺらな避難計画を並べることが許されるわけではないことを明確にしているのである。

第3部 原告住民は最高裁で勝利する

1  重大な原発事故を二度と起こさないための司法判断の枠組み

 福島のような深刻な原発事故を二度と起こさないために、司法に何が求められているのか、私見を述べたい。
 原発再稼働訴訟の司法判断の枠組みで重要なことは、まず、原発に求められる安全性のレベルが高いものでなければならないことである。その安全性は、ゼロリスクとまでは言えないものの、福島原発事故を受けて改正された原子力基本法第2条第2項の趣旨に基づき、IAEA基準などの確立された国際的な安全基準で求められる「10万年に1回の重大な原子力事故が発生しない」レベルであることが必要である。考慮すべき自然事象のレベルは「10万年に1度」とすべきである。
安全性の最終的な立証責任は、被告(行政訴訟の場合は政府、民事訴訟の場合は電力会社)に負わせるべきである。
 原告側が敗訴した判決・裁決の多くは、裁判所が「電力会社の高度な専門的・技術的な裁量に委ねられている」「破局的噴火を想定しないことが社会的に認められている」といった言い訳をして、国の方針に沿った判断を連発してきた。
 しかし、原子力発電所がエネルギー源としての必要性や公益性を持たないことが明らかになり、脱原発を求める世論が強くなった現在、これらの言い訳は通用しない。
 日本は地震と火山の列島であり、世界の大地震や火山爆発の約7~10%が狭い国土で発生しており、兵庫県南部地震や東北地方太平洋沖地震の後、日本列島は火山や地震の活動期に入ったと考えられている。
 また、日本の原子力発電所は老朽化しており、基本的に安全性は向上していない。このような状況下で、原発の再稼働を認めない判決・決定は、福島原発事故の悲劇を経験した独立した司法の良識を示すものである。

2 司法と立法と地方自治で原発を包囲する

 私たち「脱原発弁護団全国連絡会」は、地道な闘いを続けてきた。法廷内外の闘いを有機的に結びつけ、思慮深い裁判官を説得し、重要な裁判に勝利しながら、国会で脱原発法の制定を求め、地方自治体に原発再稼働に同意しないよう働きかけることは可能である。脱原発はこのような有機的な闘いによって実現可能であり、私たちの闘いには勝利の展望が開かれていると確信している。
 1992年に日本の最高裁判所が初めて原子力の安全性に関する判決を下して以来、司法制度は進化してきた。
 2021年3月には、水戸地裁で信頼できる避難計画がないことを理由に、初めて原子炉の再稼働を認めない判決が下された(大津地裁の差し止め決定は避難計画の不備を根拠の一つとしていた。)。
 2021年4月現在、原子力発電所の運転停止を認めた判決・決定は8件に及んでいる。
 元裁判官の瀬木比呂志氏『檻の中の裁判官』の中で、統治と支配の根幹にかかわる訴訟は権力の意向に追随する傾向が強まる(130頁以下)と指摘している。確かに、平和安全法制や沖縄の辺野古基地関係の訴訟などをみてもこのような傾向は否定できない。3.11までの原発訴訟は、国にとっては「統治と支配の根幹」に関わる訴訟だっただろう。以前は原発訴訟をやること自体が「反体制」みたいに言われてきた。しかし、原発訴訟は、明らかに3.11以降、その位置づけが変わったと思う。まだ、「統治と支配の根幹」に関わると考えている時代遅れの裁判官もいるかもしれないけれども、多くの裁判官はもう少し自由に判断するようになってきるのではないか。数え方にもよるが、3.11の前は何十年やっていても、名古屋高裁金沢支部のもんじゅの訴訟判決と金沢地裁の志賀原発訴訟判決と2つしか勝っていなかった。これに対して2011年以降の10年間で私たちは8件勝っている。そのうちの1つの判決を書いた大阪地裁の森鍵一裁判長は最高裁の行政局にいた人である。その人が行政訴訟で最高裁の伊方判決にもとづいて原告を勝たせたのである。
 福島原発事故が発生してからの10年間で、日本の裁判官は、圧倒的な技術的専門知識を持つと考えられている強力な原子力事業者や政府からの独立性を高め、大きな変化をもたらしつつあるといえる。

3 最高裁は原発についてどのような判断を示すだろうか

 原発事故から10年が経過したが、最高裁は原発をめぐる損害賠償の事件、再稼働差し止めの事件の双方について、未だ具体的な判断基準を示していない。
 法律の専門家の多くは、福島原発事故の主な責任は東京電力にあると考えているが、3つの高裁判決では、政府の責任については判断が分かれた。2つの裁判所は政府の責任を認める判決を下し、1つの裁判所は政府の責任を認めない判決を下した。この3つの判決はすべて最高裁判所に係属中である。
 東京電力の幹部3人は、2019年に東京地裁で刑事事件の無罪判決を受けた。一方、東京電力幹部の潜在的な民事責任を明らかにするために開始された東京電力株主代表訴訟は進行中で、2021年2月に証人尋問を開始した。
国内の最高裁で係争中の判決と東京電力の刑事事件は、今後の訴訟に重要な影響を与えるだろう。
 最後に最高裁が、今後どのような判断を示す可能性があるかについて考えてみたい。
 2012年にも司法研修所で原発訴訟について会同がおこなわれた。このときには原発訴訟については、根本的に見直すべきだとの意見がたくさん出された。裁判所が原子力裁判で積極的に判断しなかったために、福島原発のような事故を招いたんじゃないか、これまでのような消極的姿勢は改めるしかないなど、かなり踏み込んだ意見が出ていた。そういう比較的自由な状況のなかで、大飯原発についての樋口判決は準備されたといえる。
 これと比較して、2年目の2013年の司法研修所での会同では、たしかに1年目と比べると少し盛り下がっている感じがある。
けれども出ている専門家のなかには、いままでの判断の枠組みで同じような事故を繰り返してしまうと言っている裁判官もいるし、伊方最高裁判決の枠組みは基本的にはいいのではないかとしながら、現在の科学的知見ということについては幅広くみていく必要があるのではないか、それを見逃すと福島のような事故が起きてしまうというような発言をしている人もいる。
 「原子力規制委員会の判断を尊重するかどうか」ということについての意見は分かれていると思う。原子力規制委員会は、もともとは保安院だったわけで、その判断が間違っていたために福島原発事故がおきているわけである。規制の枠組み自体は伊方判決のままでいいのではないかと言っても、行政訴訟で基本設計だけに判断事項を限るべきだということについては、民事訴訟と不均衡で、根拠がないと発言している裁判官もいる。
 次に、「原子力規制員会の審査中は司法は動くべきでない」という意見は、確かにある。全国の裁判で、規制委員会の判断が出る前によい判断が出たのは大飯原発の樋口判決だけである。一番ひどかったのは大間原発の市民訴訟についての2018年3月19日の函館地裁判決(浅岡千香子裁判長)である。この事件では敷地近くの活断層の有無、敷地近くの火山の爆発の可能性について双方が証人調べを実施したにもかかわらず、この争点について全く判断しないで、原子力規制委員会がまだ判断していないから原発が動く危険性はなく、住民には危険性がないという理屈で原告敗訴の判決となった。全く肩透かしの判決で、我々は論争の中身で負けたわけではない。
 東海第二原発の場合も、規制委員会の判断がすごく遅れていた。ちょうど証拠調べをしていく途中に、規制委員会の判断が出て、それで一気呵成に裁判所が判断してくれたということだ。そして、規制委員会の判断に関する部分については、看過できない誤りまではないとしつつ、周辺自治体の多くが、避難計画を立てられてないという争いのないところで原告を勝たせたわけである。
この水戸地裁判決は、原発技術が危険なものであるということは正確に認定している。安全性の判断をどこかで間違えれば深刻な事故が起きかねないということがきちんと認識されている。また、原発規制の基準のなかで、原発を設置するためには本来敷地の周辺に低人口地帯を設けなければならないという立地審査指針があり、それが守られていないことについては疑問があるということも判決には明記されている。規制委員会の判断について「×」までは付けてないけれども、疑問を呈しながら、規制委員会がやっていない部分をとりあげて原告を勝たせたということになる。
 そういう意味で、最高裁が立てている基準と「この原発は止めておいた方がいいな」との裁判所の価値判断とを、なんとか両立させようとして、各地の裁判官は苦心しているといえる。
 この間の勝利した2つの判決は、どちらも伊方判決の枠組みを動かしていないし、しかし原発に求められている安全性について非常に厳しく審査しなければいけないという点は、判断基準を一歩すすめているといえると思う。
だから、私は、裁判所に、過去の損害は認めるが、現在の運用そのものは容認する、事故の賠償は認めるが、差し止めは認めないというような価値基準が確立しているようには見ていない。そのような立場で無批判に判決を出している裁判所がたくさんあることは事実である。しかし、そうでない判断が、確実にこの1、2年でも2つ出ていることも事実である。我々が担当している別の裁判でもものすごく熱心に審理をしている裁判所がいくつもある。
 しかし、最後に指摘しておきたいことは、裁判所が政府や電力会社から独立して、良心に従った判断ができるようにするためには、これを支える大きな市民の声がなければならないということである。そういう意味で、住民の声、自治体の意見、国会の動向がすべて原子力裁判の結果と直結しているともいえるのだ。
我々の闘っている原発に関する裁判への注目と支援をお願いする。


海渡雄一のプロフィール

1981年の弁護士登録以来、もんじゅ訴訟、六ヶ所村核燃料サイクル訴訟、浜岡原子力発電所訴訟など、原子力関連の訴訟を数多く手がけてきた。
また、日本弁護士連合会の事務総長として、震災・原発事故対策に携わってきた(2010年4月~2012年5月)。
また、「脱原発弁護士団全国連絡会」の共同代表として、3.11後の東京電力幹部等の刑事・民事責任を追及し、原子力発電所の運転を差し止めるための訴訟の多数に関与している。

主な著書・論文は以下の通り。
『原発訴訟』(2011年、岩波新書)。
『東電刑事裁判 福島原発事故の責任は誰が取るのか?』(2020年、彩流社)
「原発訴訟に立ち向かう独立した司法(3)。伊方原発最高裁判決の再評価」(『判例時報』第2354号、2018年2月11日)。
「災害列島で求められる原子力発電所の安全性。脱原発訴訟における憲法の役割」(『憲法研究第6号』2020年5月、信山社)

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